武田信玄と山本勘助

山のように動かず構える主と、地形を読んで先を歩く臣。
ひと組の主従を、香りの視点から読み直す。

この主従とは

甲斐の山国から信濃へ版図を広げた当主と、その戦略を担ったと伝わる軍師。史料は多く残っていませんが、語り継がれた物語のなかに、山と風のような二つの気配が見えてきます。

武田信玄(甲斐の守護大名・武田家当主)
山本勘助(軍師と伝わる武将、築城と軍略の担い手とされる)
時代
戦国時代中期、甲斐から信濃へ

二人が出会った背景

山本勘助は、諸国をめぐる長い武者修行のなかで、城の縄張りと軍略の知識を身につけたと語られます〔伝承〕
今川家への仕官がかなわず、武田家臣・板垣信方の推挙で晴信の前に立ったと伝わります〔伝承〕

若き晴信は、諸国の地形と城を知る者の値打ちを見抜き、その場で高い禄をもって迎えたと語られます〔伝承〕
長く実在を疑う説もありましたが、後世に知られた文書に「山本菅助」の名がみえ、武田家にその名の者が仕えていたことは確かめられています〔諸説〕。甲陽軍鑑が伝える、隻眼で片足という異相の軍師像は、伝承として読み継がれてきたものです〔伝承〕

主の役割、臣の役割

動かず、待ち、決める

「風林火山」で知られる旗を掲げ〔史実〕、味方にも敵にもたやすく内を見せない。粘り強く版図を固め、機を選んでから動く。その重さが、武田家の芯でした。

地形を読み、道をつくる

諸国で見た城と地勢を頭の図面にたたみ込み、陣の位置と城の縄張りを進言したと伝わる。主が動く前に、動きうる道を用意する役でした。〔伝承〕

信頼と緊張

この主従には、直言や諫言の逸話が多く残っているわけではありません。勘助の言葉として伝わるものの多くは、後年に編まれた軍記のなかにあります〔諸説〕

それでも、地形を読む者と、動かないと決めた者のあいだには、固有の緊張があったはずです。臣が示す「動ける道」と、主が守る「動かぬ構え」。
その二つが噛み合ったとき、武田の兵は速く、静かに動いた。噛み合わなければ、そこにはただ、山があるだけになる。

決定的な出来事

当主となり、信濃へ

晴信が父・信虎を駿河へ退け、武田家の当主となる〔史実〕。以後、信濃への攻略が本格化する。勘助が武田に仕えたのは、この前後のことと語られる〔諸説〕

川中島で上杉と対する

信濃をめぐって越後の上杉謙信と対峙し、以後およそ十年、川中島で五度にわたって兵を交える〔史実〕。勘助は各地の築城に関わったと伝わる〔伝承〕

転機第四次川中島の戦い

軍記は、この戦いで武田方が兵を二手に分ける策を立てたと伝える〔伝承〕。上杉勢は霧のなかを先に動いて武田本陣に迫り、策を勧めたとされる山本勘助は、責を負って敵中に討ち入り、討死したと語られる〔伝承〕。信玄の弟・武田信繁もこの日に倒れた〔史実〕

後年主、西上の途上に没する

勘助の死からおよそ十二年、信玄は徳川・織田と戦いながら西へ向かう途上、信濃で病を得て世を去る〔史実〕。読む者を失っても、山はなお動いていた。

二人を別々の香りにすると

この二本は、まだ商品ではありません。商品化を検討中の構想として、香りの方向性だけを書き留めます。〔香りの表現は創作です〕

武田信玄

トップノート
檜葉、クロモジ、ジュニパーベリー、酢橘
ミドルノート
乳香、ヒノキ、杉、菖蒲、オークモス
ベースノート
サンダルウッド、ベチバー、パチュリ、湿った土
試作帖でこの構想を読む

山本勘助

トップノート
乾いた橙皮、黒胡椒、エレミ、蓬
ミドルノート
なめし革、乾いた杉、セージ、ローズマリー
ベースノート
煤けたシダーウッド、枯草、かすかな煙、ラブダナム
試作帖でこの構想を読む

二本を重ねたときの香り

甲斐の森の湿った静けさに、諸国の埃をまとった乾いた風が吹き抜ける。
乳香とヒノキの重心は動かず、革と枯草の気配だけが先へ先へと流れていく。

風がやんでも、山の輪郭は変わらない。読む者を失ってからの年月を、そのまま香りにしたような残り方。〔香りの表現は創作です〕